From Founder
小林 洋子 - Yoko Kobayashi
Phalam 代表、フォトグラファー
インドのバンガロール在住。フォトグラファーであり、エンジニアの夫とともに、ITソフトウェア会社を運営しています。
なぜ、この事業を始めることになったのか?
それはおそらく、私に起こった下記の3つの出来事が影響しています。
1.
私は愛知県の尾張地区、もともと繊維業が盛んな土地柄で生まれ育ちました。
父方の親戚は、服の問屋や縫製会社を経営していましたが、大量生産・大量消費の時代のあおりを受け、立ち行かなくなりました。その後事業を引継いた父は、中国製の生産を切替え、小規模な日本国産のベビー服会社を定年まで営みました。
2.
私の20代は日本でカメラマンとして活動する傍ら、バックパックで世界を旅し写真を撮っていました。特に少数派の民族の文化に興味があり、取材していました。
30歳をすぎて結婚し、インドのバンガロールに移住、エンジニアの夫とITソフトウェア業を営みながら、ライフワークとしての取材はインド国内で続けていました。 これまでの経験から、マイノリティーの文化を色濃く継承している場所には、面白い布の文化もあると思っていました。
写真家として、そういった場所の写真を撮り、自分の作品といって紹介するのでは、それは文化の盗用ではないか、また取材させてもらった人々の役にもほとんど立つことができす、活動をどうするべきか悩んでいました。彼らは実際には、例えば、独自の文化や希少な技術を認めて購入してくれる、理解のある顧客とつながることを望んでいました。
3.
それまでインドに暮らしながら、ローカルな人々との繋がりが希薄でしたが、38歳で出産し、自分の家や生活の中に、頼れるインド人女性、ナニー(ベビーシッター)さんがやってきました。
彼女には2人の娘と息子がいました。ところが、息子さんはコロナ禍が始まった頃に、長年勤めていた仕事を失い、自ら命を絶ってしまいました。その少し前、息子に何か仕事はないかしら、と言われていたものの、真剣になって一緒に探したりしようとしなかった自分を悔やみました。
ナニーさんは、20歳から45歳の頃まで25年ほど縫製会社に勤めており、娘さんも同様に7年の縫製経験がありました。娘も仕事を探しているがなかなか見つからない、まだ幼い子供がいるので、フルタイムは難しいのだけれど、何か仕事はないかしら?
そんな話をしていた時、こんどは自分が何もできなかったと後悔をしたくないな、と。それで、いつかはやりたいと思っていた事業を、もう始めてみようと決めました。
・インドの面白いテキスタイル、それにデザインの力を加えた魅力あるモノを紹介する。
・大量生産でない価値を認められる事を望んでいる職人の仕事や、インド人女性の雇用を生む。
まだまだ考え抜かれたビジネスではありませんが、手仕事を愛する人々の元に、豊かさや温かみが伝わるモノが届けられたら幸いです。
日本のコラボレーションができる企業・デザイナー・ショップ経営者などの方々と繋がり、スローなものづくりの活動を一歩一歩、一緒に進んでいけたらと思います。
小林洋子